ラテン音楽のICON、 JOE ARROYO死去
7月20日に危篤と書いたコロンビアサルサの巨匠、JOE ARROYOがコロンビア時間の昨日の朝(日本時間の夜)、亡くなりました。
コロンビアのバランキージャの病院で、享年55歳でした。
(彼が危篤のときに書いた過去トピックは、「JOE ARROYO危篤」 。
彼の病状や彼の有名な曲についてはこの過去トピックでかなり説明したので、今日はあんまり書きません。過去トピック読んでください。
コロンビアではもちろんトップニュース。
コロンビアにとってはとても大事な人物でしたから。
そしてラテンアメリカ内でも大きなニュースになりました。
ラテンアメリカ音楽のICONであるJOE ARROYOを失った、とラテンアメリカの各国が報道していました。
コロンビア在住のコロンビア人が、彼が亡くなったと教えてくれました。
「joe arroyoが死んじゃったよ…」って。
コロンビア人たちもショックを受けているそうです。
バランキージャの近くに住んでるコロンビア人の友達によると、
「Colombia esta muy triste 」 (コロンビア中が悲しみに包まれている)
「Muchos lloran」(たくさんの人が泣いている」
とのことです。
私もとても悲しかった。。。
先週コロンビアの新聞読んだときは、心臓もあまり機能してない、排せつもできない、そのうえ歌手のいのちである気管支まで呼吸困難のために切開すると書いてあったし、もう危篤状態が続いていたからたぶん無理とは思ってたけど…。
JOE ARROYO死去のテレビニュース
JOE ARROYOの過去の映像ビデオやインタビューも入ったニュース
子供のときにカルタヘナで歌手としてステージにたち、すでに10才でカルタヘナでは有名だったそうです。
他のラテンアメリカのサルセーロ達も彼の死にショック受けていました。
コスタリカのサルセーロの友達も、メキシコのサルサのグループも彼の死を悼んでいました。
コロンビア人の友達が 「JOE、この曲であなたをおくります。 ADIOS!!! 」と書いてた。
それがこの「REBELION」
私も今日は彼の曲を何度も聴きました。
彼の曲については過去トピックで説明しています。
Rebelionはコロンビアの黒人奴隷制についてのサルサの曲で、この過去トピで翻訳してるのでぜひ見てください。
(【Rebelion】 → 「Rebelion コロンビアサルサ」
【En Branquilla Me Quedo】→ 「コロンビアサルサの大御所」
そういえばコロンビアの街角を週末歩いてたら、この曲がかかって思わずそのバーに飛び込んで友達と踊っちゃったな~。
コロンビアのクラブでカリサルサダンサーの友達のために、Rebelionをかけてとしつこくリクエストしたら、閉店まぎわにやっとかけてくれた…。
マイナーなコロンビアサルサのことを何年も前からこのブログで書き続けてきて、コロンビアサルサが一番だと思ってる私ですが、JOEはなかでも一番好きなアーティストでした。
特に彼の歌はリズムだけじゃなくて、歌詞にも想いがこもってて私にとっては特別な存在です。
危険危険と反対されてもコロンビアまで行ったのは、こうしたサルサの国だったから。
彼のサルサの魂は私のコラソン(こころ)の中にはずっと生きている。。。。
今日はまじで気分が落ち込んでいます…。
日本に住んでるコロンビア人の友達に「えーん JOEが死んじゃったよ~」って電話しちゃった…。