Life and Dance in Latino Style

ラテン音楽、スペイン語圏のラテン音楽とダンス。サルサ、レゲトン、バチャータ、メレンゲ等。中南米関連。ラテンファッション。スペイン語。その他の音楽関連

日本で共生しようとするラティーノの子供

今日テレビのドキュメンタリーで、日本のある県の団地に住む子供たちについてやってました。
そこは外国人が多く住むエリアなので、その団地も何十カ国の人が住んでいるそうです。小学校も国際色豊か。

両親はベトナム難民として日本にきて、自分は日本で生まれた子。中国残留孤児の孫。ペルー人の子供などなど。。。

自分は日本で生まれたから日本語しか話せないのに、両親は日本語が話せないから、両親とコミュニケーションがとれなくて困ってるファミリーが多くありました。

自分は日本で生まれて日本しか知らないから、自分は日本人と思ってるけど、でも見た目からも外国人と言われるわけだし、親のルーツもある。両国の間で自分のアイデンティティが分からないと悩む子供たち。


私が知ってるペルー人一家の話をします。
お母さんは日系ペルー人で、ペルー人男性と結婚しました。
上の子供が小さいころに日本に移住して、下の子供たちは日本で生まれました。
彼らが住んでる古い団地も、結構外国人が多かったです。

そこの長男は、物心ついたときから日本に住んでるので、日本語しか話せません。
しかもちょうど思春期。
たどたどしい日本語で一生懸命お父さんがコミュニケーションとろうとしますが、日本語が流暢じゃないお父さんに対してイライラしてる感じ。
お父さんが「学校はどうだ?」ときけば、漢字だらけの学校からのプリントを渡します。
お父さんが漢字読めないのを知ってるのに。

他のペルー人がスペイン語で彼に話しかけても日本語でしか返事しない。
私は日本人だから、私にばかりくっついて日本語で話しかけてきます。

日系4世だから、彼は顔は日本人ぽく目も細いです。でも肌は浅黒い。
名前も2個なら日本の名前だけどミドルネームはスペイン語名です。
結構南米人が多いエリアではあるけど、それでいじめられたこともあるのかな。なんとなくラテンアメリカの自分のルーツを隠そう隠そうとしてる感じがします。

両親は悩んで、やっぱりペルーの文化やスペイン語を知ってほしいと思いました。
そこでお母さんは下の子2人を連れて、ペルーに一年間戻ってしまいました。
下の子二人にはスペイン語を覚えてほしいからです。お母さんはペルーのほうが楽しいようでなかなか戻ってきません。

長男も長期休みに、一人でペルーのおじいさんの家に旅行させました。
彼にどうだったか、と私がきいたら、「結構おもしろかった」と答えました。

でも彼にとってはあくまでも旅行であって、スペイン語も特におぼえませんでした。

自分の両親のカルチャーを見ないで、なるべく日本に同化しよう、自分は日本人だと思ってる感じがします。
それでお父さんはすっかり悩んでいます。

日系ペルー人は、ブラジルの日系よりも迫害や差別が多かったそうで、ブラジルの日系よりも日本語を話せない人の割合が多い。
ペルーではchinoとか日本人と言われ、日本に来たら「ガイジン」といわれるし、不況で派遣切りされて国に帰れといわれます。

そういう日本でいったい彼はどういうふうに自己を確立してこれから生きていくんでしょう。