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女優サルマ・ハエックのセクハラ告発を全文和訳。ワインスタインから「フリーダ」の制作で

女優のサルマ・ハエックが自分もワインスタインの被害者だと告発しました。
ワインスタインは、セクハラでハリウッドから追放された元有名プロデューサーです。


内容が非常によかったので、全文を和訳しました。
長いけど最後まで読んでください。
彼女がどのように執拗にからまれ、精神的に追い詰められていき、仕事でも妨害され、今も残る心の傷も他言できなかったという状況は、全文を読まないとわからないからです。


サルマ・ハエックはメキシコ人の女優で、映画「フリーダ」でアカデミー賞を受賞しました。


salma hayek


サルマがワインスタインからセクハラを受けたのは、映画「フリーダ」の製作時期を含んだ4年間です。
サルマが演じた映画「フリーダ」はフリーダ・カーロの話。
メキシコの有名女性画家のフリーダ・カーロは、メキシコのお札になるほどメキシコにとっては大切な芸術家。
夫もディエゴ・リベラというメキシコを代表する大画家。メキシコの偉人です。彼らが住んでいた家はメキシコシティの観光名所になっています。






フリーダ・カーロの実際の写真と、サルマ・ハエックが演じたフリーダの写真。(この件が告発文の文中にもでてくるので)








今年は日本でもアメリカや世界で、セクハラやレイプ被害者に被害を告発した人が続出しました。
TIMES誌の「今年の人」には「silence breaker」(沈黙を破った人)という名前で、セクハラを告発した人達が選ばれました。

セクハラやレイプの被害者に対して、なぜもっと早く言わなかったのか?、なぜ長い間だまってたのか?  ハニートラップじゃないの?、仕事が欲しいから枕営業してたんだろ、などと非難して被害者を傷つけるセカンドレイプも多いです。


このサルマ・ハエックの告白を読むと、被害者はなぜ長い間言えなかったのか、拒否したらどうなったのか、なぜそのときにいえなかったのか、がわかります。

セクハラやレイプ被害者をバッシングしてる人にも、セクハラや性暴行にパワハラが伴うとどんなに恐ろしいものか少しはわかると思います。
セクハラや性暴力の被害者は女性だけではなく、男性でもLGBTにもいるし、赤ちゃんから高齢者までいるのです。

パワハラや暴言やいじめ、家庭内暴力、無視や仕事妨害などなら、体験したことがある人は多いでしょう?

ワインスタインの被害者には、レイプされたり、有名女優が性強要と執拗にストーカーされてノイローゼになったり、拒否したら急に業界から干されたり、ひどい目にあった女性達がたくさんいます。告発した人だけで70人以上。
どうして被害者はワインスタインを何十年も告発できなかったのか。
それがこれを読むとわかります。


以下がサルマ・ハエックの告発文(NY TIMES紙)を私が和訳したものです。
彼女の心情がわかるように、なるべく原文に忠実に和訳しました。








「ハーヴィー・ワインスタインは私のモンスターでもある」

サルマ・ハエック(女優)




ハーヴィー・ワインスタインは情熱的な映画人で素晴らしい映画の製作者で、いい父親であったが、モンスターでもあった。

彼は私を苦しめるモンスターだった。


この秋、女優アシュリー・ジャッドによるワインスタインのセクハラ告発事件以来、私はいろんなレポーターから私のエピソードについて語らないかとアプローチされた。でも私は胸の奥にしまってきた痛ましい過去を話せなかった。

私は長い間、「あれはもう終わったことなんだ、それに私はサバイバルできたじゃないか」と自分自身に言い聞かせて自分を洗脳してきた。もうたくさんの女性があのモンスター(ワインスタイン)を告発した、それで十分じゃないか。私がいまさらなんか言ったところで、もう重要じゃないし、たいした差はないだろうと。

リアルな生活では、私は自分の愛する人達にワインスタインによるハラスメントの被害者であることを告白しようとチャレンジしたことがある。でも詳細は言えなかった。
なぜこれほどまでに自分を深く傷つけた男と仕事で何年も関わってしまったのかと悔やんでるし、自分が相手を許してしまったと恥じていたので、詳細をいう事ができなかったのだ。
でも口を閉ざせば自分の人生のチャプター(章)にある疑問は解決されるのだろうかと悩むようになった。


たくさんの女性がワインスタインのセクハラを告発した時、私も自分の臆病さに立ち向かって自分の過去の体験を受け入れなきゃいけないと思った。過去の経験は自分自身と同じように大事なことであり、その混乱と悲しみと涙を海に流せば終わり、というわけじゃないからだ。

私は、自分のこの苦しみを誰も理解してくれないだろうと思い込んでいた。
ワインスタインから「おまえなんてnobodyなんだ。」と、私なんて価値がない人間だとずっと暴言を言われ続けてきた結果、自分は誰でもないし価値がない人間なんだ、と自尊心を失ってしまったんだと思う。

私のように、昔から世界中の多くの女性達が、女だからという理由で侮辱され屈辱を与えられてきた。この昔からの悪習に、我々の社会はやっと気づいてきたところである。
私は勇気を出して告発した女性にインスパイア(刺激)され、自分の体験を語ろうと思った。特に女性のセクハラで告発された男が大統領であるアメリカで。

セクハラを告発した女性達は、権力を持った男性は女性に対してなんでもやりたいことをできるのだと言っていた。
もう、こういうことで苦しむ人たちがなくなる世の中になってほしい。




私は最初はメキシコのドラマの女優だったのだが、「desparado」(デスペラード)や「fools rush in」(愛さずにはいられない)というハリウッド映画に出演し名前が売れていた。その頃メキシコ人女優がハリウッドで成功するのは、まだ想像できない時代だった。でも私はまだnobodyだった。

その頃ワインスタインは、オリジナルでニューウェーブ(新しいタイプ)の映画をメインストリーム(主流)でヒットさせる魔法使いだった。

私の女優のキャリアを決定づけた原動力が「フリーダ・カーロ」である。
フリーダ・カーロはメキシコの有名な女性の画家。
メキシコでディエゴ・リベラなどの壁画全盛時代にあって、みんなが当時見下していた小作品の絵画を彼女は描いた。彼女は自分自身をアートに表現できる勇気ある人。
私はフリーダの人生を映画にしたいという大きな願いがあった。私の母国メキシコに対するアメリカからのステレオタイプな偏見を変えるような、メキシコが生んだ偉大なアーティストであるフリーダの人生の映画を作るのが自分の使命だと思っていた。私にとってはそれがすべてだ、と。


ワインスタインはその頃、米のスタジオMiramaxでワインスタイン帝国を築いていた。「ワインスタイン=Miramax」 だった。ワインスタインのMiramaxは、他の大手と違ってリスクを顧みず、良質で洗練されたいい作品を次々に大ヒットさせており、挑戦的なアーティストにとっては天国みたいなところだった。



私は何年もかけて自分がリサーチして脚本を書き作り上げてきたフリーダ・カーロの映画の企画を、それまでいろんな会社に持ち込んでいた。そして自分が映画で一緒に仕事をしたロバート・ロドリゲス監督とプロデューサーのエリザベス・アヴェランを通して、ワインスタインに自分の企画を持ち込んだ。その頃はワインスタインが素晴らしい才能の持ち主で家庭を大事にするいい父親だという噂しか知らなかった。


今から思えば、なぜワインスタインではなく、自分と交友関係にあるクエンティン・タランティーノ監督と俳優ジョージ・クルーニーに持ち込まなかったのかと後悔している。
ジョージ・クルーニーは私の友人であり、私がワインスタインにレイプされそうになったのを助けてくれた人だ。


ワインスタインとの最初の取引では、ワインスタインは私の作品「フリーダ」の権利にお金を支払い、プロデューサーのクレジット料を払い、主演女優のギャラとして映画俳優協会の最低賃金に10パーセントを上乗せした額を払うということだった。しかしこのお金は私に支払われてない。女性のプロデューサーにお金を払わないことは、90年代には珍しいことではなかった。

またワインスタインは、miramaxの他の作品にも今後出演するという契約にサインしろと要求した。私は自分のハリウッドでの地位をかためるものだとそのときは思ってサインした。

私にとってはお金はどうでもよかった。あのミラマックスであのワインスタインと一緒に作品をつくれることに非常に興奮し、自分の夢がかなったと喜んだ。私のそれまでの14年間の女優生活の価値をワインスタインが認めてくれたのだ。Nobodyだった私にチャンスをくれた。ワインスタインは私に「yes」といってくれたのだ!



でもその後はずっと、私がワインスタインに「no」と言い続ける番になった。

ホテルというホテルで、ワインスタインが一晩中私の部屋のドアの外で開けろとよびつづけるのにnoといった。
ワインスタインは予期せずに現れるし、ワインスタインにまったく関係ない映画のロケ地のホテルにさえやってきた。

彼と一緒にシャワーを浴びろという要求にノーといい
彼がシャワーを浴びるのを見ろという要求にノーといい、
彼がマッサージを要求するのにノーといい、
彼の裸の友達に私の体をマッサージさせろという要求にノーといい、
フェラしろという要求にノーといい、
他の女性とレズプレイを見せろという要求にノーといい

No, no, no, no, no ……

拒絶するたびに、権謀術数をめぐらす悪人ワインスタインはどんどん激怒していった。



だがワインスタインはたんに「no」という言葉を嫌っていたとは私は思わない。
彼の馬鹿げた要求はエスカレートしていった。

ある真夜中、ワインスタインが電話してきて私のエージェントをクビにしろと激怒した。彼がベニス映画祭のガラパーティに私を連れて行こうとしたが、私のエージェントがそれに抵抗したことに怒ったのだ。もし彼のプライベートパーティに行ってれば、彼が連れてるモデルのような若い女性達と同行することになってただろう。ワインスタインが連れてた女性達は高級娼婦だとあとできいた。



ワインスタインの説得の戦略は、飴とムチである。
ある日は甘い言葉で誘い、ある日は激怒する。
私に激怒したときに、「おまえを殺してやる。 俺に殺せるはずがないと思うなよ」という脅迫すらされた。


そして私が彼の性的要求を拒否したことで、「フリーダ」の映画は私が主演を演じることで契約されてるのに、ワインスタインは主演を他の女優に変えると言ってきた。
私が何年もかけてリサーチして作り上げてきて脚本を書き上げた作品をだ。



結局、ワインスタインの目から見れば、私はアーティストではない。一人の人間としても見られてない。彼にとって私はたんなる「モノ」なのだ。「nobody」ですらなく、たんなる「body」(身体)だったのだ。

主演女優を別の女優に変えるといわれて、私はついに弁護士に相談することにした。訴えるのはセクハラについてではなくて、契約済みの自分の作品をとりあげようとしてる事に対してである。私はミラマックスとの契約を解消して、ワインスタインからもミラマックスからも離れたかった。

ワインスタインは、サルマ・ハエックは女優として大物でもないし、プロデューサーとしての素質もないくせに、と批判した。

そして法的な話がでてきたときに、彼は妥協案を出してきた。しかしそれは厳しい締め切りと不可能なタスクばかりだった。


1. 脚本を書き直すこと。ただし脚本の訂正には追加料金は支払わない
2. 映画の製作費に10億円融資を追加すること
3. 監督は大物監督にすること
4. 脇役の4人は大物俳優や女優にすること



そんな大ピンチの時に、すばらしい人達が私を救いに駆けつけてくれた。
エドワード・ノートンは脚本の書き直しを何度も助けてくれたのに、映画のクレジットには入ってない。
私の友人であるマーガレット・ペレンシオは資金集めに奔走してくれた。
そして女性監督のジュリー・タイモアが監督をひきうけてくれた。ジュリーはそれ以降私の重要な人になった。
私は自分の友人である俳優の、アントニオ・バンデラスエドワード・ノートン、そしてアシュリー・ジャッドにオファーしたら引き受けてくれた。俳優ジェフリー・ラッシュも助けてくれた。

ワインスタインの無理な要求リストはこれでクリアできた。
しかしそのあと、ワインスタインはたんに拒否するだけでなくなり、映画に対してあれこれと口を出すようになった。



皮肉なことに、映画の撮影が始まったらセクハラは止まったのだが、彼の激怒がエスカレートしていった。
ワインスタインが撮影に立ち会うたびに彼にお金を払った。
ワインスタインはその後のインタビューで、今まで自分があった中での一番の破壊者はサルマ・ハエックとジュリー・タイモア監督だと述べていた。私はそれは自分にとっては誉め言葉だと受け止めた。



映画を半分撮り終わったところで、ワインスタインが映画のセットにやってきて文句を言った。
フリーダ・カーロのシンボルである太い一本まゆげは、気に入らないのでやめろといった。フリーダ・カーロはポリオの病気と交通事故で足が不自由だったのに、その足をひきずる動作をやめろとワインスタインは言ったのだ。私の演技をぼろくそにこきおろした。
そして私以外の他の者は全部出て行けと指示し、私に対して「おまえがやればいいことはセックスアピールを出すことなのに、この映画にはセックスアピールがない。こんなセックスアピールのない映画なんて誰も見たくないから、この映画はボツにする」といったのだ。

映画製作は中止と突然いわれて、私の魂はつぶされてボロボロになった。霧の中に迷ったようになり、ストックホルムシンドロームのようになってしまった。
※(注:ストックホルム症候群は、誘拐犯と一緒に過ごすうちに人質が誘拐犯に同情を覚えたりする現象)


私はワインスタインに自分をアーティストとして見てもらいたかった。ただ能力がある女優だけじゃなくて、原作に忠実にストーリーを伝えられる製作者として。
それにプロデューサーとしても認められたかった。脚本を書き、ワインスタインの厳しい要求リストにも応え、フリーダ・カーロの作品を使う許可をメキシコからもらった私を。私はメキシコ政府などと交渉して、フリーダ・カーロの家やディエゴ・リベラの壁画(ディエゴ・リベラはフリーダの夫で、メキシコが誇る大画家)など、メキシコの大事な文化遺産である場所を映画の撮影に使用する許可まで得たのに。

でもこうした私の努力はワインスタインの前ではなんの価値もないようだった。彼が映画について述べたことといえば、私が映画の中ではぜんぜんセクシーじゃないということ。

でもワインスタインは私に女優としての不安はいだかせたが、私にこの映画をあきらめるさせることはできなかった。



ワインスタインは「フリーダ」の映画は製作中止と決めた。
でもこの条件をのめば、映画を最後まで撮らせてやる、と言った。
それは私が全裸になって、他の女優とのセックスシーンを映画のシーンに入れるという条件だった。

彼は映画「フリーダ」では、なるべく女優の肌を露出させ、セックスシーンをたくさん出すことをしつこく要求してきた。監督のジュリーは、せめてアシュリー・ジャッドと私のセックスシーンじゃなくてキスシーンに変えてほしいと頼んだ。

だがもう交渉の余地はなかった。ワインスタインの要求をのまなければ、この映画は中止に追い込まれる。映画を助けるには、ワインスタインが要求する彼の性的なファンタジーをかなえなければならないのだ。
この映画を作るために私は何年もかけて努力してきたし、多くの才能あるスタッフや俳優達が尽力してくれ、もう半分は撮り終わっている。このすばらしい作品をここで捨てることができようか。だから私はワインスタインに「yes」というしか道がなかった。

私はずっとワインスタインから多くの要求をされ続けてきて、ずっと強い抑圧にさらされてきて心を病んでいた。この狂気の中で私を信じてついてきてくれた人達に感謝していた。だから私はフリーダ・カーロの人生や映画のストーリーとまったく関係ないし意味がないセックスシーンを入れることに承諾してしまった。



そのセックスシーンを撮影する日、私はこのシーンを撮りさえすれば映画を救うことができるんだと勇気を奮い、映画のセットに到着した。

そしたら撮影現場でパニックをおこした。心では仕事だからやらなきゃいけないとわかっていたのに、身体がいうことをきかない。号泣し身体がわなわな震え、そしてセットの中で嘔吐を繰り返してしまった。
鎮静剤を打たれ、セックスシーンの撮影は強行された。こんなパニック状態ではセクシーなシーンにはならないけど、鎮静剤で抑えてまでやらされた。

そんなパニックをおこしたのは人生でその時だけだ。
私は女優だから、ヌードになったりセックスシーンが嫌だからじゃない。
私と他の女性とのレズプレイを見たいと性的なファンタジーを望むワインスタインのために、無理やりやらなきゃいけないことが耐えられなかったからだ。

「フリーダ」の映画の撮影が終盤になるころには、私は感情的に狂気に陥り、撮影後の編集作業の間は自分自身と距離を置かなければならなかったほど追いつめられていた。



そこまでして撮った映画なのに、編集が終わった作品を見て、ワインスタインは「こんなへぼな作品を映画館では上映できないから、ビデオでリリースするだけにするわ」といったのだ。

私がいないときに監督がワインスタインとけんかして、NYの1つの映画館だけで試写会をして(スクリーニング)、見た人の満足度が少なくとも80点以上に達すれば映画をリリースする、という条件をワインスタインにのませた。

実は全体の映画のうち、スクリーニングの試写会で80点以上とれるのはたった10%未満しかない。その条件は厳しいものだからワインスタインは承諾したのだ。

私は怖くてその試写会には行けなかった。心配して結果を待ったら、結果はなんと85点だった。

するとワインスタインがキレた。試写があったシアターのロビーで監督のジュリーにワインスタインは大声で怒鳴った。彼は点数が書かれたスコアカードの紙を丸めてジュリー監督に投げつけ、彼女の鼻にあたった。ジュリー監督のパートナーで映画のサントラ担当のエリオット・ゴールデンサルが割って入って守ったが、ワインスタインは彼に暴力をふるって脅迫したそうだ。



しばらく日にちがたってワインスタインが落ち着いたころ、私は勇気をふりしぼって彼にLAの映画館1軒だけでも上映してくれないかワインスタインに頼んだ。そしたらなんとワインスタインは了承してくれた。

これが彼の怖いところなのだ。彼はいつも怖いわけじゃない。優しくおもしろくウィットにとんだジョークをいういい人の時もときどきある。でもそのいいひとが豹変する。
恐ろしい彼と、優しい彼のどっちがほんとうの彼なのか、わからなくなってしまう。
そうやって被害者を混乱させてしまうのだ。




それから何か月もたった。私のヒーローでインスピレーションのもとであり、体が不自由で一本眉以外はリアルな人生があまり知られてなかったメキシコのアーティストのフリーダ・カーロの映画がリリースされた。
映画のボックスオフィスの興行では大成功をおさめた。
ワインスタインはまったく映画をサポートしてくれず邪魔だけしたし、映画の成功をまったく望んでなかったのにだ。

2002年の10月に、映画「フリーダ」は、誰も予想してなかっただろうが、なんとアカデミー賞に6部門もノミネートされた。私は主演女優賞にノミネートされた。

「フリーダ」は結局、アカデミーショーの2部門の受賞をワインスタインに与えた。
私はアカデミー賞を受賞したが、受賞の喜びは今でも感じない。


しかし、ワインスタインはその後、私に二度と映画の主役をさせないように妨害した。
私はミラマックスとの契約があったため、ミラマックスの作品に何本か出演しなければならない義務があった。が、すべてマイナーな脇役ばかりだった。




それから何年もたったある日、私はイベントでワインスタインにばったり会ってしまった。ワインスタインは私をひっぱり、自分は心臓発作をおこしたので禁煙したしジョルジーナ・チャップマンと結婚して俺は変わった、と言った。
そして彼は私にこういった。「君は “フリーダ” でよくやったよ。われわれはすばらしい映画をつくった」と。

この誉め言葉が自分にとってはどれだけ意味があった重い言葉なのかは、ワインスタインにはわからないと思う。彼はどれだけ自分が私を深く傷つけたのかも決してわからないだろう。私はワインスタインの前では、彼に恐怖心を抱いているのを見せないようにふるまっていた。彼との仕事の時は、スマイルして、彼のいい部分のことだけ考えようと努力していた。

私は戦争に行ってその戦いに勝利したのだ、と自分に言い聞かせてきた。





しかしなぜ女性のアーティストの多くが、自分の被害を語るために戦争にいくような戦いをしなければならないのだろうか?  私達は今まで権力者からのパワハラとセクハラで苦しんできた被害者なのに。なぜ私達は自分の威厳を保つためにこんなに必死に戦わなければならないのだろうか?

女性だからという理由で芸術上の価値を低く見られてきて下品な状況におかれてきたので、女性の観客が見たいと思うことやどんなことを語りたいのかということを知る努力を映画産業がやめてしまったからだと思う。

最近の研究によると、2007年から2016年の間でも、女性の映画監督はたった全体の4パーセントだけ。その女性監督のうち8割は1作品しか作れずに消えてしまうのだという。
2016年の研究では、有名な映画のセリフのうち、女優のセリフは27パーセントしかないそうだ。



私たちがなぜ今頃になってセクハラやパワハラを告発するのか、なぜもっと早く言わなかったのかとみなさんは不思議に思うだろう。 私達が告発するのは歓迎されないだろうと自分たちで自己判断してしまったからかもしれない。

この映画業界において、男女が同じ価値を認められて平等になるまでは、私達は天敵と戦い他の女性達のためにも土を耕しつづけていかねばならない。

私は自分たちの体験に耳を傾けてくれる人達に感謝している。セクハラとパワハラに対してついに声をあげて告発する女性達。その合唱に私の声も加えわった。

私の告白は、なぜ声をあげることがこんなに難しいのか、そしてなぜ私たちの多くが声をあげるのに長年かかったのか、という問いに光をあてることになると思う。

男性がセクハラするのは、今までずっとセクハラが可能な環境だったからだ。
女性は今になって話しはじめた。それはこの新しい時代になってやっと声をあげることができるようになったからである。



サルマ・ハエック


原文: https://www.nytimes.com/interactive/2017/12/13/opinion/contributors/salma-hayek-harvey-weinstein.html









:::
以上。



私が映画「フリーダ」を見た時、自分が知ってたフリーダ・カーロとなんかイメージが違うし、どろどろしててエッチシーンが多いし気持ち悪くなって途中で見るのをやめてしまいました。
メキシコに行ったときにディエゴ・リベラの素晴らしい壁画などを見た時も映画のイメージがつきまといました。
私はメキシコに住んでたんだけど、あの映画はほんとにフリーダ・カーロディエゴ・リベラとメキシコに対する、ワインスタインの冒涜だと思う。もう一度メキシコで作り直せばいいのに。。。


それから「フリーダ」がアカデミー賞をとる前から、サルマ・ハエックはもうハリウッド映画では知られてました。彼女はそれまでは無名のように書いてるけどすでに有名でしたよ。


実は、「フリーダ」の映画がリリースされた頃、映画を撮る時に主演女優はほんとはジェニファー・ロペスだったのに、メキシコ人のサルマ・ハエックが自分はメキシコ人として思い入れがあるのでどうしてもやりたいとごり押しして主演をとった、と当時報道されてたんです。しかもジェニファー・ロペスがフランシスコ・コッポラ監督を使ってまで自分がやりたいと言った、と書かれたらしい。

でも本当はこういうことだったんですね。
きっとサルマ・ハエックを中傷するためにワインスタインやミラマックスがそのように報道させたのでしょう。
よくわかりました。


サルマの話を見ると、これはただのセクハラじゃない。
ワインスタインだけじゃなくてバックについてる会社のミラマックスも同罪。
というかミラマックスはワインスタインが兄弟と設立したっ会社だそうです。
だから今回ワインスタインを告発した被害者の女優達にもミラマックスがバックについてたから抵抗できなかったとか、抵抗したらミラマックスの作品から全部外されたとか、他の監督や俳優達に相談したけどミラマックスが怖いのかうやむやにされて助けになってくれなかったといってましたよね。

ミラマックスはアカデミー賞受賞作品やヒット作品をたくさん出してきたスタジオ。大手スタジオと業界を牛耳ってる大物に抵抗すれば、業界で働くのは難しくなります。
実際に有名女優がワインスタインに抵抗した結果、業界から干されてしまったケースもあるそうです。

ワインスタインに肉体的や精神的虐待を受けて、鬱になったり心身症になった女優が何人もいるそう。
サルマ・ハエックはクエンティン・タラ・ティーノにいえばよかったといってますが、有名女優のダリル・ハンナは「キル ビル」に出た時にワインスタインがホテルに押しかけて何度も逃げて、他のスタッフに守ってもらった恐怖があるそう。映画の監督のクエンティン・タランティーノに相談したら、ミラマックスの映画だったということもあるのか、タランティーノは助けてくれなかったそうです。


このサルマ・ハエックの告発文を読んだり訳してたら、ワインスタインの執拗なパワハラと暴力と変態性とかに吐き気がしました。
リアルでよくわかりやすいけど、こんなことされたらノイローゼになるでしょう。


サルマはレイプされなかったんだからいいじゃん、という人もいるかもしれません。
レイプはされてないけど、4年間にわたって女性だからという差別とセクハラとパワハラと執拗ないじめを受けてノイローゼ状態に追い込まれ、それから10何年もたったのにいまだに傷ついてるんです。

しかも、ワインスタインはサルマ・ハエックの告発に反論したそうです。サルマにはセクハラしてないし、「フリーダ」での強要もしていないと。
ワインスタインは70人以上の女優などから告発されていますが、ワインスタインが反論したのはメキシコ人のサルマ・ハエックケニア人のルピタ・ニョンゴだけなので、もしかして人種差別もあるのではないかという話もあります。

あれだけワインスタインにおびえていたサルマがやっとのことで告白したのに、ワインスタインが今回の告白を否定したため、またあの男とかかわりあわなきゃいけないなんて・・・。彼女が心配です。
これがレイプやDVやセクハラなどを告発した人のリスク。
二度と見たくないし、見れば吐き気がしたりおびえてしまう加害者と面と向かって戦わなきゃいけなくなる。




サルマ・ハエックは肉体的には暴力をふるわれなかったけど(性暴力振るわれそうに何度もなったけど、拒否したので)、でも精神的に衰弱するほど女性差別と暴言と嫌がらせとパワハラされ続けましたよね。


暴力には肉体的な暴力だけではなくて、モラルハラスメントという言葉や行動による虐待もあります。
殴ったりレイプはしないけど、暴言言い続けたり怒鳴ったり、おまえはダメな人間だといわれつづけたり無視されたり。相手の許可なく外出しちゃいけないとか行動制限されたり。

あなたが男性でも、パワハラされたりいじめや嫌がらせや無視、家庭内で暴力や暴言はかれたことならあるでしょう?
仕事でパワハラされたときに、会社やその業界で働きながらパワハラ上司を告発できますか?
その上司が社長や業界での権力者なら、その業界で二度と働けなくなるようにされる可能性もあります。

それに男性やLGBTだってセクハラの被害者にもなるしね。

力がある方が力がない人に無理やりという形で、パワハラを伴ったセクハラが多いでしょうし。


それからサルマのケースを読んでたらDVの加害者と被害者の関係を思い出しました。
DVの加害者の多くが「いい人」だそう。つまり、DV夫には世間でも職場でも友人間でも近所でも「いい人」と評判が高い人に、すごい多いそうです。
普段は「いい人」なんだけど、暴力ふるったり暴言言われる。
けど翌日になったら「昨日はごめんね」とまたすごくやさしくなる。
やっぱ優しい人かと思うとまたある日殴られる。
優しい人なのか、怖い人なのか、根はいい人なのにとか、わからなくなる。
だからだんだん被害者は混乱してしまう。
頭が真っ白になりわからなくなっていってしまい、ずるずる関係を続けてしまう。
もし別れたいと切り出すと、相手が泣いてすがってくる。
または、俺は絶対に離婚しないとつっぱね離婚訴訟になっても訴訟で出会ったときに恫喝したり、離婚するなら子供を奪うとか脅してくる。


人はあまりに恐怖を味わうと、頭が真っ白になって思考停止してしまい、身体も硬直して動かなくなってしまう。
拉致られた人があまりに長い間監禁や拷問受けていると、ドアが開いてるのに逃げる気力を失うのと同じです。



今回アメリカなどでセクハラ被害の声をあげたのは、映画やテレビやラジオなどのメディアとか音楽界や芸人などエンターテイメントやマスコミ関係が圧倒的に多かったでしょう。日本もそうですが。
エンターテイメント界は、他の業種と違ってパワハラや、女性だから能力がないと女性差別や、セクハラする体質がまだけっこうあります。

セクハラを当然と思ってるおやじは多い。
被害にあった人が声をあげると、仕事を失う可能性がある。
味方になってくれる人がほとんどいない。女性ですら、さーっとひいてしまうことも。

サルマ・ハエックアンジェリーナ・ジョリーやグィネス・パトルローみたいな有名ハリウッド女優達でさえ、長い間ワインスタインにセクハラとパワハラ受けてた事を告白できなかった。

有名じゃない人ならなおさらハラスメント受ける可能性が高くなるだろうし、それを告白するのは非常に勇気がいることでしょう。
仕事を失ったり、バッシングを覚悟したとしても。



エンターテイメント界というと、
私がいるクラブ界も性差別へのコンプライアンスがなく、ヒエラルキーにより上下関係が厳しい世界です。
男女差別もあるし、パワハラやセクハラもあります。
いい人達もたくさんいるんです。
でもお店のオーナーやスタッフやオーガナイザーやスタッフやDJなどの中には、パワハラやセクハラする人たちもいます。
特に上の人から下の人に。
女性に限らず、男性やLGBTの人にも被害者いるそうです。

有名な女性DJでも「女のくせにうまいね」とか、女性だからとイベントから外されたなどと女性差別を訴えてる。
でも無名な女性DJならさらにパワハラやセクハラの状況は悪化。
多分、無名な若いDJにはつらい思いをしてる人もいるかと思います。
セクハラとかパワハラに抵抗したり告発すれば、オファーが来なくなったり、この業界から干される可能性もあるしね。
だから何人かが声をあげてもあとに続く人がいないから、なかなか環境がよくならない。
こういう状況は改善してほしいと思います。

クラブ界に限らないけど、自分がいる業界がクラブ界なので例をあげてみました。



パワハラやセクハラや虐待やDVや性暴力などを受けても誰にも言えずに一人で苦しんでつらい思いをしていたり、過去の被害にずっと苦しんでる人はいると思います。


加害者は忘れても、被害者は忘れられない。
心身症になったり、ずっと苦しんでいる人たちは多いです。
年とってからやっと事実を告白できる人もいます。


「私もセクハラ被害を受けた」という、 「#me too」のツイッターハッシュタグは世界で広がりました。
告白できた人はまだ氷山の一角に過ぎないと思いますが、新しいムーブメントだと思います。

21世紀になってもまだ続く、こういうパワハラやセクハラや虐待や差別は、なくしていかなきゃいけない。
もう苦しむ人を作っちゃいけない。

孤立して一人で苦しんでる人や声をあげて非難され孤立してる人がいたら、サポートしてあげてほしいと願います。




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