Life and Dance in Latino Style

ラテン音楽、スペイン語圏のラテン音楽とダンス。サルサ、レゲトン、バチャータ、メレンゲ等。中南米関連。ラテンファッション。スペイン語。その他の音楽関連

サングレを隠す

また前回の続きです。。。

ペルー人一家のおとうさんに収入がないことを心配してくださってありがとうございます。

でも実は私、その一家と音信不通になってしまって、いまどうしてるか分からないのです。

おとうさんは時給800円のアルバイトしかなかったから、一家6人を支えるのは無理でしょうし、お母さんと子供二人は日本に帰ってこられても生活費払えないからペルーで待機してろと言ってました。

長男は将来やりたい仕事があって、そのために専門学校に行きたかったのですが、中学を出たあとの進学は難しいでしょう。中卒で終わるかもしれません。

彼らの唯一よかったことは、公団の古い団地にいるので家賃が安いこと。40年以上前に大量生産されたよくあるふるーい公団で信じられないくらい家賃が安い。
こういう公団は前はあんまり日本人が入居したがらなかったので、外国人が結構住んでました。(最近不況で倍率があがってるようですが)。


最初の話に戻りますが、私が見たNHKのドキュメンタリーは いちょう団地に住む子供たちのレポートでした。 その地域は外国人が多く、古い公団のいちょう団地も20カ国以上の子供が住んでるのです。 学校もいろんな国の子供がたくさんいて、なかには日本語がうまく話せないので、日本語の特別授業を受ける子たちもいました。そのへんはサポートがしっかりしていて、ボランティアやNGOの日本語の先生が放課後に教えていました。

日本語によるスピーチコンテストが大規模に開かれることになり、その学校では各国の移民の子供たちに自分のルーツを親に聞いて自分が思ったことを書くように指導したのです。

中国残留孤児の孫たちは、おばあちゃんが中国残留孤児で日本人だけど日本語を忘れてしまった。日本に一家できたけれど、お父さんとお母さんは中国語しか話せず、子供たちは日本で育ったから日本語しかできない。親と会話ができない。親が心配して長女を2年間中国の親戚に家に預けたら、中国語はできるようになったけど、今度は日本語や漢字を忘れてしまいました。

ベトナム難民の子供は、親からベトナム戦争の時代の話を聞いて、自分の両親がどんなにつらい目にあって逃れてきたか、その心の傷が今も深いことを知りました。この一家も親は日本語があまりできない。でも子供は日本で生まれていて日本語しか話せないし、ずっと自分は日本人だと思っていたそう。
お父さんもベトナムに比べて日本のほうが自由に生きられるから日本が好きだという。
自分も日本人としてこのまま日本で暮らしていきたい。
でも自分のルーツを知って、ベトナム人としてのアイデンティティもでてきたから、日本人とベトナム人、どっちとしてこれから生きていくのか、考えていきたいと思うというようなことを言ってました。

彼らは親や祖父母の経験や自分の民族の歴史やルーツを教えてもらって、両方の国の文化や自分のサングレ(血)を考えるようになりました。



でも私が前に例に出したペルー人一家は、日本で育った長男は自分がペルー人だということに誇りを持てず、隠そうとしてるようなのです。
お父さんはペルーに誇りを持ってるから、なんとかしてペルーの文化を知ってもらいたいし、スペイン語を話してもらってもっとコミュニケーションしたい。でも息子はそんなおやじをうざいと思ってるようです。

ペルー人には愛国心が強く、なにかにつけて「ペルーはすごい」「ペルーは一番!」「ペルーを愛してる」と言いまくる人が多いから、そういう4世の姿を見たらショックだと思います。

一生懸命長男に話しかけても無視されて、お父さんの友達(ペルー人)はかわいそうでした。

本当は長男をしばらくペルーにやってペルーのことを知ってもらうチャンスを作ろうと親は図ってましたが、不況でそれも無理になってしまった、ということです。


私の知り合いにいる、欧米人ハーフと違って、東アジア系ハーフの人はいじめられるからと、自分にアジアの血が流れてることを隠し通してる人もいます。「他の人に自分の実名を言わないで(国がばれるから)」、と口止めされたので私は言ってません。


日系人のことをガイジン出ていけとネットで書いてる人がいるけど、日系人は日本人でしょう。
(偽は別として)
日系4世が胸をはって、自分はラテンの血と日本の血が流れてると胸を張って楽しく生きていける社会になったらと願います。