Adolescentes Orquesta 「latino」(サルサ)の歌詞和訳、ラティーノ移民の苦悩
サルサの人気グループ Adolescentes Orquestaのサルサの曲の歌詞を和訳します。
Adolescentes Orquestaは、今危機的な状況にある南米ベネズエラの出身です。
これは、ベネズエラ人の話じゃなくて、ラティーノみんなのための曲です。
曲の途中に各国の名前が出てきますが。
ラティーノというのは中南米人、または中南米系の人達のこと。
Adolescentes Orquesta 「LATINOS」
スペイン語の歌詞を和訳します。
歌詞の和訳は別のブログに移動しました。
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以上
ラテンアメリカに住んでるラティーノや、アメリカなど地域外に住んでるラティーノも、「ラティーノ」ということでつながってるんですよ。
特にラテンアメリカのスペイン語圏は結びつきが強い方だと思います。
アジア人同士で世界で強くつながってるとかアジアにこんな歌ないので、ちょっとうらやましく思う事もあります。
ラテンアメリカといっても、カリブの島々から、メキシコから中米、南米とかなり広いです。
ここで出てくるラティーノは、どちらかというとスペイン語圏のラテンアメリカの国ですが。
もともといろんな民族がいて、先住民族やさまざまな文化があります。
でもスペインに植民地にされました。
スペインが原住民の文化や宗教や神殿などを破壊してカトリック教会やスペイン風の建築物をたてた。
そしてアフリカからたくさん人を連れてきて奴隷にしプランテーションなどで働かせた。
それによりプエルトリコやハイチなどは原住民がほとんど絶滅してしまった。
長い植民地時代が続き200年ほど前に独立したのに、その後フランスやアメリカなどに侵攻された。ほんとは豊かな資源があり食料自給率が高く労働力も多い国。なのに内戦がおきたりマフィア抗争などがあり、政治家の汚職や貧富の差などいろいろな問題を抱えて、自分の国を離れ他の国に難民や移民、または出稼ぎに行かざるをえなかった人もいます。
だから国歌には独立運動の時の歌が多くて、サッカーの試合の時などで歌う時に泣いちゃう選手がいたり、植民地にされたり辛い歴史があったからのことで、ナショナリズムや民族主義という感じではないんですよね。
日本に住んでるラティーノも、俺たちはラティーノというし、ラティーノでなにかイベントするとか、ラティーノ同士のつながりが強いです。
カナダやアメリカや他の国でもそうで、ラテンのコミュニティありました。
でも中南米にいた時は「ラティーノ」というと嫌がる人が結構いることがわかりました。
「ラティーノっていわないで、メキシコ人って言ってくれない? 他の国の人と違うから」
「ラティーノってひとまとめにされたくない」といわれることが多かったです。
チリ、ボリビア、ペルーみたいに隣同士なのにあまり仲良くない国もあるんで。
けどアメリカとかカナダとか違う地域にいくと、ラティーノでコミュニティがある。
カナダもラティーノコミュニティがあるし、他の国にもあります。
いろいろなラテンの国関係の人達で。
ラテンコミュニティで助け合ってるし、ラティーノのフィエスタとかイベントとかよくやってましたよ。
アメリカだとプエルトリカンパレードとか巨大なイベントもあるけど。
自分の国を離れて、難民や移民したラティーノ、特に国を離れたのが自分の意志ではなかった人には、この曲はじーーんとくると思います。
トランプは、中南米移民をレイシストで麻薬や犯罪を持ち込む貧困の「shithole」の国の人とか罵倒するけど。
shitholeといわれたハイチは、大震災とハリケーンで被災した国。
トランプに20万人強制送還されそうなエルサルバドル移民は、米のせいで92年まで内戦だったところです。
これは難民だよね。
日本はペルー人とブラジル人が多いです。
ブラジルとペルーは日系人が多いから。
ペルー人で日本に出稼ぎにきた年代で一番多いのが90年代に来た人達。
ペルーで大統領が失政をして7000倍のスーパーインフレになった時期です。スーツケースいっぱいの札束持って行ってもパン1個しか買えなかった状態で生活ができなかったと、日本に住んでるペルー人からききました。
ガルシア元大統領のせいでほんとに食べ物がなくなって、日本に来た人が多いそう
今の若い世代はその世代の子供世代と思うんですが。
リーマンショックで派遣切りがあって、2011年に大震災があったら、ブラジル人もペルー人も多数が国に帰りました。
ブラジル人はリーマンショック後に日本政府が国に帰らせたんだけど。
ブラジルは五輪やW杯で景気よかったし、ペルーもここ何年かとても景気がいいです。
日本よりずっと好景気なので向こうの方が仕事があるみたい。
でも日本にいるラティーノも、ラティーノのこういう歌をかけると、ジーンとする人多いですね。
故郷に家族や友達をたくさん残してきてる人も多いので。
自分の子どもに10年以上あってない人もいるし。
さて、Adolescentesがこの曲をリリースしたのは2001年。
ベネズエラがチャベス政権だった頃です。
この曲がアルバムに入ってリリースされた時はチャベスに反抗する小さい反乱がおきたけど鎮圧されました。
チャベスは独裁政権で、キューバなどの左派政権とべったり。
チャベスは憲法や大統領制を勝手に変えて、自分の任期をのばし、自分がガンで死ぬ前に選挙もやらずにマドゥロを勝手に大統領にしてしまいました。
ベネズエラの歌手や有名人はほとんど政府への批判を言いません。
チャベスやマドゥロ側で利権を得てるのか、それとも批判したら家族も国にいるから言えないのか。
Adolescentesは今まで政府の批判を言ったのは見た事ないので、実際どう考えてるかわからないです。
ベネズエラはひどい政策のせいで、お店に行っても商品がほとんどないしスーパーインフレで物価がうなぎのぼり。
国民の大半が飢えて体重が大幅に減り、フラミンゴやごみを食べてる人達もいる。
病院に行っても医薬品がなくて亡くなる人達が多い。
国外に出国した人達が多数います。
隣のコロンビアにもベネズエラ人が何十万人も逃げてきました。
コロンビア政府は去年、特別滞在許可を2年出してベネズエラからの避難民を公式に受け入れました。
ベネズエラ人は周辺のブラジルやペルーにもたくさん逃げたし、お金がある人はアメリカにも行ったけど。
彼らは好きで国を離れたわけじゃない。
ベネズエラはチャベスの前までは、南米一のリッチ国でした。
産油国でお金持ち。
日本企業の駐在員もたくさんいたんです。
それが、独裁政権と破綻政権のせいで一挙に没落。
言論や報道の自由もないし、反政府デモしたら鎮圧され多数が殺されました。
だからベネズエラの人達を想うと、この歌はもっとジーンとしますね。